2014年7月30日水曜日

 江戸の夏   
美濃山忠敬        
中央区日本橋小学校非常勤講師

 江戸の夏は、卯月1日の綿入れから合わせへの衣替えと初鰹の売り声とともに始まります。初鰹は、鎌倉産の鰹が一番早く出回り、初値に10両とか20両、4人家族で2年は暮らせるといわれた時代、今に直すと数百万という超高値です。初鰹は、将軍家に献上され、高級料亭や大商人などが買いました。町人は、少し時期が遅く値が下がった頃に房州、伊豆からの鰹を切り身で買っていました。「井戸端で見せびらかして刺身をし」「初鰹銭とからしで二度涙」と「粋」の生きざまを示す初鰹です。このころ、初 茄子も人気です。

野菜は、江戸郊外の千住葱、砂村胡瓜、早稲田茗荷、内藤南瓜、滝野川牛蒡、品川蕪、小松菜、練馬大根、羽田梨など、旬の初物を食べていました。江戸っ子の初物好きは、初酒、若鮎、初松茸など多くの食材に広がっていました。鰹「勝つ」などの縁起を担いでいました。

歌川広重「名所江戸百景」「両国橋大川端」大川と両国広小路の賑わいがわかります
桜の季節が終わると、向島百花園や堀切菖蒲園、上野不忍池の蓮の花の観賞、変種朝顔など江戸の庶民は花好き。蓮の葉は、涼を呼ぶ花として観賞されました。そして、葛西辺りで栽培された花をめでていました。蛍狩りも行われました。端午の節句の鯉幟、七夕飾りは、江戸の町の彩あるあでやかな街並みに一変させました。そして、町には、冷水,心太、西瓜、シャボン玉、金魚、白玉もち,枇杷葉湯売りの売り声が裏店にまで届きます。

悪疫退散祈願と死者を弔う慰霊の隅田川の川開きは,皐月28日。大小さまざまな船が川に操出し、船の上では、三味線、笛太鼓、謡などで楽しみ、船の上での料理されたものも食べて楽しみました。両国広小路は、見世物小屋やなどで江戸一番の賑わいになりました。「鍵屋あーっ」「玉屋あーっ」の両国花火は、花火の費用は、料理屋や船宿が出したもので、江戸庶民の楽しみでした。
歌川広重「名所江戸百景」「鎧の渡し小網町」
関八州のコメが集まった小網町の倉に燕が飛んでいます
水無月(陰暦六月)1日は、将軍家に加賀藩から雪が献上され、富士参りの日。富士講の人々は、富士山に登りますが、富士山に行けない庶民の老若男女は、鉄砲洲、下谷坂本、白山、駒込などの富士塚に気軽に登山した。7日は、江戸の人々総出で年1度の「井戸浚い」。井戸の清掃で、「産湯を水道でつかい」の誇りと水質確保をしていました。
 
15日は、天下祭、日枝神社の山王祭。隔年開催の天下祭、神田祭と山王祭で、毎年、先頭で「閑古鳥」の山車を引くのは、大伝馬町だけ。大伝馬町の誇りでした。大伝馬町は、太物(木綿)問屋や年に五千両の御用金を納めていた下村大丸があり、全国輸送の要の大伝馬の駅舎もあり、幕府の御用金、日本橋地区133店のうち59店もあった「財閥の町」でした。  

大都市江戸の町の物資輸送の主力は、水運。江戸の町は、「三十間堀」「八丁堀」など、堀が縦横に張り巡らされ、日本橋は、物流の終着地。江戸城と隅田川を結ぶ日本橋川や水運の掘割の町で中洲の前は江戸湾、向かいに佃島。江戸時代は、気象条件はよくわかりませんが、「小氷期」と言われています。暑さは「川風を売り物にする江戸の夏」です。寝苦しい夜、行水、夕涼みをし、松葉や蓬を使った「蚊遣」を使い、蚊帳をつり、寝ていました。江戸の夏は、勢いのある楽しい日々が続き、暑さを跳ね返すエネルギーを持った季節でした。
歌川広重「名所江戸百景」「麹町一丁目山王祭練り込み」
江戸城に入る前の山王祭。向うに「閑古鳥」が小さく見えます