「特別の教科 道徳」がねらう恐ろしい教育の未来
俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
安倍政権・文科省は、「特別の教科 道徳」を正規の教科にして、道徳教育・愛国心教育をすすめようとしている。すでに、道徳学習指導要領告示(15年3月)、道徳学習指導要領解説発表(15年6月)の後、「道徳」の教科書検定基準が官報に告示(15年9月30日)された。
16年5月から小学校道徳教科書の検定が行われており、17年同教科書の採択、18年4月から使用、17年中学校道徳教科書の検定、18年同教科書の採択、19年4月から使用と進行する。
1.検定教科書が導入され恣意的な検定が行われる
道徳が「教科」になれば検定教科書の使用義務が生じる。道徳の検定教科書には重大な問題がある。これまでの検定制度も様々な問題があったが、他教科では教科書の内容は学問研究の成果に基づいて書かれ、検定における検定基準・検定意見などは、一応は「学問的根拠」をもとに行なわれてきた。ところが、「道徳」には学問はない。特定の「価値」=「徳目」(ここでは国家が定めた価値)を教育するのが道徳教育である。したがって、学問的な根拠、裏付けのない検定基準・検定意見に基づいて検定が行われ、これまで以上に国家による恣意的な検定がまかり通ることになる。
2.道徳の「評価」は子どもの心と身体を支配する
人類の到達点としての普遍的な価値観、共通認識に立脚するのではなく、国家が定める特定の価値観を前提にして、それを「主体的に」学び、「態度・行動にあらわす」ことが求められ、それが評価の基準になってくる。問題は、行動にどう表れたかが評価されるとなると、内面と行動の乖離(互いにそむき離れる)を引き起こさざるを得なくなる。 子どもの心と身体(行動)は分裂し、今まで以上のストレスが増大する。これによる子どもたちの「荒れ」などの対策はゼロトレランス(不寛容)、つまり厳罰主義でおこなうとしている。さらに、子どもの心まで評価させられる教員のストレスも大変なものになることは明らかである。
3.「特別の教科 道徳」は、戦前の「修身」の復活
戦前・戦中は、教科書は国定で、読本(国語)・地理・国史(日本歴史)・修身が主要教科とされ、他の教科の上に位置付けられ、その中でも「修身」が「特別の教科」として全教科の上に立つ「筆頭教科」とされていた。今回の、「特別の教科 道徳」の「特別」とは、道徳を「筆頭教科」にして他の教科を統制する役割をさせるということである。これはまさに戦前の「修身」の復活であり、「戦争する国」「グローバル企業」のための「人材」づくりを担うものだといえる。