江戸 灰のビックリ完璧活用
東京革新懇代表世話人
元都教組委員長
工藤芳弘
江戸では、排泄物が肥料(下肥)として取り引されていたということを「江戸のしたたかなエコ生活」という題で「東京革新懇ニュース」に書いたことがあった。
これは有機廃棄物のリサイクルといったものである。また、大都市江戸が極めて清潔に保たれていたのも、人の排泄物を肥料として利用し、なおかつ農業の生産性を高めるという循環システムができていたからであった。
しかし、江戸のリサイクルのしたたかさは、これだけでは終わらない。
竈の灰もリサイクルで利用江戸の長屋には、竈があり、そこで煮炊きをしていた。ガスや電気のない江戸時代では、燃料は木材や藁である。当然のことだが、大都市江戸では、それらを燃やした灰が大量に出ることになる。種火を残したりするのに多少の灰は必要だっただろうが、残りの灰に様々な活用方法があり、これが宝の山だったのだ。
各家庭で出た灰の山に目をつけたのが、「灰買い」と呼ばれた人たちである。要するに残り灰のリサイクル業者だ。
灰はどのようにリサイクルされたのか
江戸の人々は、木や藁を燃やしてできた灰の再利用方法に熟知していた。
灰はアルカリ性なので、それを利用すればという考えは、今では学校でも習う当たり前のことだが、江戸の人々はそれを経験で学んでいた。
関西では、灰を藍染めの脱色や濁り酒を澄ませたりすることにも活用していた。とりわけ藍染めは、江戸時代になって爆発的に流行した。そのために灰の需要も増えて値段も上がり、「灰買い」の豪商も生まれたのである。井原西鶴の浮世草子『好色一代男』の主人公世之介のモデルは、その当時「灰買い」を商売にして、莫大な冨を築いた灰屋紹益という人物だと言われている。
田畑の土壌改善にも利用
江戸周辺の土壌は、火山灰が降り積もってできた関東ローム層で酸性だったので、作物を育てるのには適していなかった。従って、灰は土壌を中和させるために非常に重要なものだった。
百万都市の江戸では、当然のことながら食料需要が大きく、近郊の農家では、土壌改良のために灰を用いて生産性を上げる必要があった。農業でも灰は貴重な資源であった。
江戸の町には、残った灰を買い取る「灰買い」業者が、「へっつぅーいなおし、へっつぅーいなおし。灰はたまってございませんか、灰屋でござい~」などの声をあげて長屋を廻っていた。「へっつい」というのは竈のことである。
各家庭では、竈に残った灰を箱に入れ、湯屋や大店など大量に灰が出るところは灰小屋に灰を溜めていた。それを「灰買い」が定期的に廻って買い取るというシステムが江戸の町にはあったのだ。
江戸の庶民は、井戸の水で洗濯をしていたが、洗濯用の洗剤には何を使っていたのか? 実はここでも灰が利用された。灰と水を混ぜた水溶液が洗濯洗剤となったのだ。灰の上澄み液でもみ洗いをしたのだ。
また、灰を水に溶かし上澄みを集めた灰汁も洗剤の定番だった。灰は水を加えるとアルカリ性の水溶液になり、衣類に付いた油分・タンパク質の汚れを分解しやすくする効果があるからで、これも理にかなっている。
さらに、洗髪にも灰や灰汁を使っていたようだ。
江戸のエコは徹底していた
灰の再利用はこれ以外にも様々あったようだが、江戸という時代は、徹底して資源を使い切っていたと言える。現代で言う「エコロジー」と、比較にならないほどの徹底ぶりではないだろうか。
灰のリサイクルだけを見ても、循環型社会の一つの完成形が江戸にはある。現代の私たちが、江戸から学ぶべきことは多い。
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