2021年8月31日火曜日

                9月の旬 

                巨 峰

               橋本紀代子 薬剤師

 ブドウのうち、日本で栽培面積が最も多いのが巨峰です。大粒で黒紫のツヤが美しく、甘味が強いのが特長。富士山を望む静岡県の研究所で生まれたので「巨峰」と商標登録されました。

 果皮の白い粉はブルームで、完熟の目安になります。種なしは植物成長調整剤のジベレリンで処理されています。巨峰の生産量が多いのは長野県と山梨県で、旬は811月。

 ブドウはヨーロッパ、エジプトなどで5000年以上も前から作られ、世界最古の栽培果実といわれています。日本には中国を経由し、平安末期に入ってきました。世界の品種は1万種以上。日本の主なものでも60品種以上あります。ブドウに含まれるブドウ糖や果糖には疲労回復や脳の活発化、集中力を高めるなどの効果があります。酸味は酒石酸やクエン酸などの有機酸で、疲労回復効果があります。

 皮の色はポリフェノールのアントシアニンで、目の疲れや視力回復に良いとされています。レスベラトロールもブドウの皮に含まれるポリフェノールで、アレルギーの発症を抑えます。

 漢方では足腰の痛みや流産防止に良いとされ、筋肉が丈夫になる果物とされています。 

おいしい食べ方と保存法 

 水に浸かると傷みが早まるので食べる直前にボウルに入れ、房のまま流水で振り洗いします。

 皮は軸と反対側にナイフで十字に切り込みを入れるときれいにむけます。フルーツサラダ、ケーキやタルトのトッピング、ゼリー、ジャム、ムースなどに。

 冷凍後に水で洗うと、皮はつるんとむけます。そのまま食べればシャーベットに。無農薬の巨峰なら皮はフードプロセッサーでペースト状にして冷凍し、ドレッシングやソースなどに混ぜて用います。保存は房のままキッチンペーパーにくるみ、ポリ袋に入れて冷蔵庫の野菜室に。

【「食べもの通信」9月号より転載】

2021年8月13日金曜日

                                                8月の旬 

                                              青パパイア                  

                                    薬剤師  橋本紀代子 

 パパイア(パパイヤ)は高さ10mほどの木になる果物です。未熟な青パパイアは野菜として注目されています。青パパイアの果肉は白く、シャキッとした歯ごたえがあります。710月が旬。

 熱帯アメリカの原産で、産地はおもに熱帯の国ぐにです。国内では沖縄、鹿児島など九州の各県のほか、最近は本州でも栽培されています。

 未熟果から出る白い汁にはたんぱく質分解酵素の「パパイン」が多く含まれ、疲労回復、がん予防効果、肉料理の消化を助ける働きなどがあります。肌が弱い方はかぶれることがあるので、触れるときは手袋をするなど注意が必要です。

 カルシウム、鉄分などは成熟果より多く含まれます。便通を改善する効果のある食物繊維もたっぷり含まれています。

 漢方では胃の消化を助け、胃痛や下痢にも効果があるとされています。 

おいしい食べ方と保存法

 下処理は青パパイアを縦半分に切り、種を除いて皮をむき、千切りや薄切りにして15分水にさらし、水気を切ります。

 下処理をした青パパイアにパクチー、ライム、ニンニク、トウガラシ、ツナ缶を合わせ、ナンプラーやドレッシングをかけるとタイ風サラダ「ソムタム」に。ピクルスやきんぴらなどの炒めものにもおすすめです。千切りにして乾燥させると、切り干し大根のように使えます。

 薄切りしたものを塩漬けして水気を切り、みそやしょうゆ味の調味液に漬けた漬物は、沖縄のみやげ品として人気です。肉は生の青パパイアをすりおろして絡めると、軟らかくなります。

 保存は、新聞紙などにくるみ冷暗所で。下処理したものは、ポリ袋などに入れて冷凍できます。サラダや炒めものに使うときは自然解凍を。煮ものや汁ものには、凍ったまま入れます。

【「食べもの通信」8月号より転載】

 

江戸

 江戸 世界一の水道

         元都教組委員長 工藤芳弘

 水は人が暮らしていくために必要不可欠なものである。  

文京区にある東京都水道歴史館は、「江戸~東京、発展の流れを創った水の道400年」と銘打って、江戸から始まる水道の歴史について知ることのできる施設である。

江戸は「八百八町」と言われるが、実際には千以上の町があり、18世紀には100万以上の人が住む世界最大の都市であった。江戸に住む人たちの水は、どのようにして確保されていたのだろうか。

 


「江戸っ子は水道の水で産湯を使い

17世紀の世界3大都市はロンドン、パリ、江戸である。しかし、常に水道を利用できたのは江戸だけである。ロンドンの水道は週3日で7時間だけ、パリに水道ができたのは19世紀になってからだ。江戸の水道は世界一だった。

水道博物館によると、徳川家康が江戸入国に当たって、家臣の大久保藤五郎に上水をつくるように命じ、小石川上水を造ったのが江戸における最初の水道だという。水源や配水方法、経路等について具体的なことは現在もわかっていないようだが、江戸の発展とともに上水へと発展していったという。

その後、多摩川を水源とする玉川上水、井の頭池を水源とする神田上水など6本の上水ができ、江戸の庶民は、「江戸っ子は水道で産湯を使い」と自慢したそうだ。 

江戸の井戸は水道井戸

 最も規模の大きな上水は、羽村から大城戸まで、42キロ以上にも渡る玉川上水である。

四谷まで地上を流れる川は、木や石で作られた地中の水道管に配管され、江戸の各所に分配された。

長屋には、共同の井戸があり、上水によりいつも一定の水が確保されていた。江戸の井戸は、地下水を汲み上げる掘り抜き井戸ではなく、水道井戸であった。

水道は、土地の高低を利用した自然流下式だったが、坂の多い江戸ではかなりの技術を要したはずである。駅名として今に残る水道橋は、神田川の上に作られた架樋(かひ)があった名残である。遠くまで水を行き渡せるために必要な施設であった。 

水のリサイクルも

 水の管理も厳重で、異物の混入や水の汚れがないかを「水番屋」が監視し、問題があれば関や水門を閉じた。

 江戸では、井戸から汲んだ水で洗いものをしたが、飲み水は、ろ過、煮沸し、湯冷ましにした。

 使われた水は、最終的には堀や川に流れ落ちるが、その吐水口には水舟が待ち構えて回収し、水の不便な地域に運んで売ったという。これも江戸のリサイクルの一つなのだろう。 

「湯水のように使う」とは

本所・深川などの下町は、上水が隅田川を越えられなかったり、埋め立て地で水質が悪かったりして、飲料水に困る地域だった。そこで、水屋という水道の水を売り歩く商売が成り立った。天秤棒の前後の桶2つの水を、16文で売ったが、そばの価格の4分の1で、利は薄かった。それでも、得意先が決まっていて、いつ水が不足するかを把握して売り歩いたそうだ。

下町の水事情は大変だったようだが、「湯水のように使う」という言葉が江戸にはあった。「湯水のように使う」は、現代では金銭などの無駄遣いに例えられているが、江戸では、湯水は溜めておくと腐ってしまうため、常に流しておかなければならないという教訓である。

今の日本では、蛇口をひねれば水道からきれいな水が出てくるのが当たり前のようになっているが、江戸庶民は、飲み水は絶えず新しくしておかないと腐ってしまうということもあり、水を大切に使っていたようだ。江戸に見習う必要があるだろう。