2025年9月2日火曜日

                 9月の旬 

       サツマイモ

              薬剤師 橋本紀代子 

 メキシコなどでは、3千年も前から栽培されていました。コロンブスの時代にヨーロッパに渡り、日本への伝来は中国経由で17世紀初頭です。最初に沖縄、鹿児島などに伝わったことから「琉球イモ」「薩摩イモ」とよばれていました。

 江戸中期には救荒作物として栽培が推奨され、全国に普及。現在栽培されている品種は約60種類です。ねっとり系の「紅はるか」「安納芋」、ホクホク系の「紅あずま」「鳴門金時」などのほか、焼酎の原料にもなる「黄金千貫」などが人気です。

 でんぷんのほかに甘味のもとのブドウ糖や果糖などが多く、主食にもなります。

 サツマイモのビタミンCは比較的熱に強く、8割も残ります (皮付き生25㎎ 蒸し20

 皮なし生29㎎ 蒸し29㎎)。

 豊富な食物繊維は便秘にも有効です。サツマイモを切ったときに染み出る白い液はヤラピンで皮の近くに多く、食物繊維とともに便通を改善しますが、胸焼けの原因ともいわれます。

 利尿作用のあるカリウムや骨を作るカルシウムも豊富です。 果肉が黄色いサツマイモには、β-カロテンが含まれています。

おいしい食べ方と保存法

 掘り起こしたサツマイモは、洗わずに1個ずつ新聞紙に包み、1015℃で追熟させると、でんぷんが糖化し甘味が増します。

 炊飯器の釜に水1合を入れ、皮付きのサツマイモ2本を68個に切って入れ、炊飯のスイッチをオンにするだけで、おいしいおやつに。サツマイモご飯は、米2合、塩小さじ1、サツマイモ中1本を用意します。皮付きのまま1㎝のサイコロ状に切ってから水にさらし、米・塩と一緒に炊飯器で炊きます。

 八丈島では生のサツマイモの皮をむき、薄くまたはスティック状に切って2週間ほど乾燥させたものを「きんぼし」といい、きんとんなどにします。

    【「食べもの通信」9月号より転載】

ヒロシマ‣ナガサキ‣ビキニフクシマを結ぶ  

   「非核の火」碑前祭 TV放映 

 被爆80年。上野東照宮に灯されていた原爆の灯を福島県楢葉町宝鏡寺に移して4年。今年も、広島に原爆が投下された86日に碑前祭が宝鏡寺境内で開催された。

 境内に設置されたモニターで、広島平和記念式典を視聴し、815分に黙祷。

 碑前祭のオープニングは、鎮魂の尺八演奏。共同代表(代理)の井田玲子さんが被爆80年の取り組みを強調し開会あいさつ。続いて、伊藤達也共同代表が「日本国民の73%が核兵器禁止条約に参加すべきとしているが自公政権は拒否。唯一の戦争被爆国民として一日も早く禁止条約を批准するよう一層声を大きくしていきましょう」と訴えた。

 広島市長、長崎市長、八女市長(ヒロシマ原爆の火が灯る町)、地元の楢葉町長、日本被団協、日本原水協、日本平和委員会のメッセージ紹介。

 続いて、東京から41人で参加した合唱団「この灯」の合唱。ヒロシマ原爆の火を故山本達雄さんが故郷・星野村(現八女市)に持ち帰り、家族で灯し続け、のちに「平和の火」として村が施設をつくり灯し続けた「灯」をうたったカンタータ「この灯を永遠に」(作詞・作曲 安藤由布樹)の9章・10章、アメイジング・グレイス等など歌い、感動を持って受け止められた。

 つどいは、NHKなどテレビ3局が取材し放映された。

 前日には、伝言館(宝鏡寺に立地)事務局長の丹治杉江さんの案内で被災地視察。莫大な国家予算を投入し、産業団地や駅前再開発が進む一方で、無人の家が広範囲に点在。居住者は双葉町では184人(以前の2.5%)、浪江町2274人(10.6%)で、居住者は原発作業員も多いとのこと。バスの中でも放射線量は23マイクロシーベルト(μSv/h)で 外は57μSv/hなど高い地域も各所にあった。ちなみに東京・新宿では0.035μSv/h程度で現地は東京の約百倍ぐらい。高線量で立ち入り禁止の広大な地域もある。

 政府が、2月に閣議決定した第7次エネルギー基本計画は、「原発依存度を可能な限り低減する」との方針を大転換し、原発の最大限活用を打ち出した。改めて福島原発事故の現状を理解することは極めて重要となっている。 

伝言館には豊富な資料が展示され、外国人や若者なども訪れている。館案内や被災地視察などは、丹治さんにご相談ください。「伝言館」はネットで検索できます。

丹治杉江さん090-7797-4673

メール:ran1953@sea.plala.or.jp

今井文夫(東京革新懇事務局長・合唱団「この灯」団員)

 大きな感動よんだ 

第24回真夏の夜の平和コンサート

8月29日夜、国分寺市立いずみホールで、三多摩革新懇の第24回真夏の夜の平和コンサートが開かれ、310人の参加で成功しました。 

戦後・被爆80年にふさわしい企画で 

このコンサートは、例年8月に、「三多摩から平和の願いを込めて」開いてきたものです。ただ、コロナ禍のため2020年から4年間の中断を余儀なくされた後、昨年再開しました。

今回は、日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、戦後・被爆80年の節目の年にふさわしいものにして成功させようと実行委員会で繰り返し議論し企画を練り上げました。

その中で、第1部は昨年末日本共産党文化後援会の集まりで宮田耕八朗さんの力強い尺八の響きに圧倒されたという、実行委員で青年劇場の亀井幸代さんの提案で宮田さんにお願いしました。当コンサートでは初の邦楽でお客さんを呼べるか不安の声も出ましたが、宮田さんの声掛けで箏の大畠菜穂子さんとの共演が決まり、亀井さんの呼びかけで原爆詩の朗読を前進座の浜名実貴さん、青年劇場の八代名菜子さんの3人で行うことに決まりました。

第2部は実績ある三多摩青年合唱団のうたごえで、平和への思いを広げていこうと決まりました。

 感動的なステージ 


こうして迎えたコンサートは感動的でした。第一部の第1曲は、尺八と箏の演奏で、宮田さん作曲の「みずほのうた」。農村の実り豊かな原風景と国のノー政への怒り、農民の思いを込めた名曲です。第2曲は同じく宮田さん作曲の「キビタキの森」。自然豊かな森に暮らす鳥のさえずりや羽ばたきを尺八のカデンツァで表現した、これも名曲で実際に森にいるかのような感じを味わえました。続いて、八代名菜子さん(青年劇場)、浜名実貴さん(前進座)、亀井幸代さんによる原爆詩の朗読は被爆者の魂が宿ったような感情豊かな表現に涙が溢れました。 

第2部の三多摩青年合唱団の美しいハーモニーには歌う喜びがあふれていて素晴らしかったです。終わりにみんなで歌った「青い空は」に、この日の参加者の万感の思いが込められていました。

今後に生かすために

終演後、アンケートが55人から寄せられました。これは地域革新懇の再建など今後の活動に生かしたいと思います。(斎藤隆コンサート事務局長 )