2021年3月31日水曜日

     江戸庶民の食事事情

                  元都教組委員長 工藤芳弘

ここ最近、江戸の料理小説シリーズ本が書店に並ぶようになった。これまでの武家が中心の時代小説とは違い、料理人が主人公、とりわけ女性料理人が活躍しているのが特徴だ。例えば、高田郁の「みおつくし料理帖」(映画化もされた)、坂井希久子の「居酒屋ぜんや」、今井絵美子の「立場茶屋おりき」などのシリーズはすべて女性が主人公だ。また、和田はつ子の「料理人季蔵捕物控」は、シリーズ40作を超え、250万部を突破した。

江戸の健康食

 武家の食事は、文献などにも残っているが、一般庶民はどんなものを食べていたのだろうか。今より質素な食事だったことは間違いなく、肉や乳製品を食する習慣もなかった。野菜も今とは異なるものが多かったようだが、健康に良いものが多く、最近は江戸野菜などが注目を浴びている。

 江戸の儒学者貝原益軒の『養生訓』(1712年)には、長生きの秘訣として、「腹八分目、食事は薄味にし、動物性たんぱくは控え、古く臭く、色や香りがあせたのは食べない」とあり、味噌などの大豆製品を取ることを推奨している。

1人1日5合とは!

江戸の食事は健康的に見える。しかし問題は、江戸の白米の消費量だ。1日に1人5合もの白米を食べていたというのだ。この影響で、江戸では脚気になる人が多かった。脚気はビタミンB1不足による病気だが、江戸を離れて主食が白米から玄米や麦、雑穀になると直った。このことから、脚気は江戸だけの奇病として「江戸わずらい」とも呼ばれた。

今につながる江戸の食文化

日本料理に欠かせない醤油やみりん、砂糖などの調味料が広く普及し始めたのは江戸時代である。調味料によって煮物などの料理はどんどん美味しくなり、煎餅や饅頭などのお菓子も作られた。

また、江戸期以前の出汁文化と調味料の普及により、江戸時代は日本の料理の大発展期となり、現代の日本料理のルーツとなった。

庶民の食としての屋台が普及したのも江戸である。時代が進むにつれて、そば、鮨、天ぷらなどの屋台が発達し、外食が習慣化すると天丼や鰻丼などの丼物も流行した。手軽な店が増えたことで、江戸庶民の食の楽しみも広がっていったというわけだ。

江戸庶民のおかず番付

 江戸庶民は、何でも番付にするのが好きだ。江戸後期に発行された「日々徳用倹約料理角力取組」というおかず番付があるが、中央に為御菜(おさいのために)と大書されている。

 これを見ると、江戸の庶民が日々食べていた料理がどのようなものだったかが分かる。

番付は、精進方(野菜類)と魚類方に分かれており、大関が最高位となっている。

精進方は、八杯豆腐(大関)、昆布油揚げ(関脇)、きんぴらごぼう(小結)、以下煮豆、焼き豆腐、ひじき白和え、切干煮付け、芋がら油揚げと続く。魚類方は、めざし・いわし(大関)、むきみ切干(関脇)、芝エビ乾煎り(小結)、以下まぐろから汁、こはだ大根、たたみいわし、いわし塩焼き、まぐろ剥身と続く。

今なお日常の食卓に見られる料理ではないだろうか。八杯豆腐とは、豆腐を細長く拍子木切りにし、酒1、醤油1、だし汁6で煮込むので八杯豆腐と呼ばれた。江戸の代表的な豆腐料理である。番付下位には、けんちん、ぬた、ふろふき大根、湯豆腐、焼き秋刀魚、卵とじなどが並ぶ。

この番付から、野菜と魚が中心だった江戸のヘルシーな食事事情が垣間見えてくる。また、江戸の味が現代に繋がっていることもわかるだろう。

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