江戸の居酒屋事情
私も含めて多くの人が普段からお世話になっている居酒屋。誕生したのは江戸の中頃だといいます。居酒屋が誕生すると、上方から江戸に送られてくる酒樽は年間百万樽以上にもなったとか。一斗樽(18ℓ)が百万と考えただけでもかなりの量です。
江戸では上方(灘や伏見など)から送られてくる酒は「下り酒」と呼ばれて上等だとされ、関東の酒は質が悪く味が悪く「下らない酒」と呼ばれていましたが、今は日本全国どこ行ってもうまい酒があるというのが筆者の見解です。
なぜ居酒屋と呼ばれたのか
居酒屋という言葉は、江戸で使われ始めた言葉ですが、どうして居酒屋と呼ばれたのでしょうか。
江戸初期には、酒は店で飲むものではなく、酒屋から量り売りで買って家で飲むものでした。いわゆる自宅飲みです。ところが美味しい酒が入ると、酒屋が店頭で試飲させ始めました。やがて店頭に居座って飲み続ける客が増え、そこから居酒屋という言葉が生まれようです。今の「角打ち」といった感じでしょうか。
居酒屋が料理屋からではなく、酒屋から誕生したということは意外な感じもします。
最初は立ち飲みスタイル
酒屋の店先から始まった居酒屋ですが、最初は立ち飲みスタイルでした。酒屋は「居酒致し候」などの看板を掲げ始めましたが、つまみもなく、ひたすら酒だけを飲んでいたということです。しかし当然のことながら、酒だけでは物足りなくなります。次第に簡単な料理を出す「煮売り居酒屋」が登場し始めました。
江戸の居酒屋メニュー
よく食べられていたのが味噌田楽。江戸最古の酒舗「豊島屋」では、田楽を出して大盛況だったとか。安くて人気があったようで、田楽がおでんのルーツにもなったとも。
さらに湯豆腐、ゆで蛸、芋すの煮物、泥鰌汁と人気メニューは続きます。蛸は店頭に吊り下げられ、ゆでたり煮つけたりして出されました。「江戸名所百人美女」という浮世絵集には、女性が蛸をあてにお酒を飲んでいる浮世絵(左下)があります。
また、河豚は毒があることから幕府で食べることを厳しく禁じていましたが、庶民はふぐ汁にして食べ、居酒屋メニューにもありました。
鮪は今と違って値段が安く、煮つけや刺身で出されていました。ただしトロの部分は、江戸時代には保存がきかないと捨てられ、猫も食べない「猫またぎ」とまで言われていました。今では高級品のトロ。何とももったいない話です。江戸の居酒屋メニューをこうして並べてみると、何か今より贅沢ではないか。そう思うのは私だけでしょうか。
江戸の庶民が飲んでいた酒
江戸の庶民が飲んでいた酒は主に日本酒で、濁酒や甘酒でした。みりんのような味だったようです。今の吟醸酒や大吟醸酒とはまったく違う酒だと考えたほうがいいでしょう。また、冷やでは飲まず一年中熱燗で飲んでいました。焼酎も飲まれていたようです。
江戸の庶民は、とにかく酒好きで、昼夜をいとわず仕事中でも飲んでいたといいます。ただし江戸の酒は水割りで飲むのが一般的。アルコール度数も5%程度だったようですが…。
酒好きの江戸庶民を象徴するのは、酒量を競う「酒合戦」の盛り上がりです。寛文7年(1667年)に出された酒合戦記「水鳥記」には菱川師宣が挿絵を描き、当時の大ベストセラーになったということからもそのことが知れます。
しかし、酒はたしなむもの。くれぐれも飲みすぎには注意を!
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