2025年12月16日火曜日

江戸庶民

      江戸庶民の働き方

 工藤芳弘(元都教組委員長)


「働いて働いて……」

2025年の新語流行語大賞年間大賞が、高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」に決まりました。初の女性総裁としての覚悟を示す言葉であるなどと報道される一方で、「働き方改革」や「ワーク・ライフ・バランス」に逆行するものとして賛否を呼んでいます。

江戸の庶民がこの言葉を聞いたらどう思うか? 昔の人は朝から晩まで働いていたと思っている人が多いかもしれませんが、江戸庶民の働き方を調べてみると逆の実態が見えてきました。現代人の方がよほど働きすぎているのではないかということです。

江戸庶民の働き方

江戸庶民はどんな働き方をしていたのでしょうか? 江戸庶民の労働に対する考え方とその実態は、現代の働き方に多くの示唆を与えているような気もします。

結論から言えば、江戸時代の職人や商人の実労働時間は、現代よりもはるかに短かったということです。当時の記録を見れば、朝6時頃から働き始めて、午前10時頃に一度休憩を取り、昼食後の午後1時頃から午後4時頃まで働いて、それで一日の仕事は終了というのが一般的だったようです。 

江戸の朝は、4時から賑わう日本橋河岸から始まりました。基本的に、「日の出とともに起き、日の入りとともに休む」という自然のリズムに合わせた生活です。また、雨の日は基本的に休みという職業も多かったようです。

これらを考慮して労働時間を平均すると、1日の実働時間は6時間程度ではなかったかということです。朝6時頃とか午後4時頃というのは、便宜上今の時間帯に当てはめてみたものですが、今と違って9時から17時といった勤務時間の概念がなかったという方が正しいのかもしれません。

当然ながら季節や職種によって働き方の違いもあります。冬は陽が短いので、働く時間も短くなります。また、電気がない時代ですから、夜遅くまで働くことはありませんでした。

必要な分だけ働く


「今月の生活費を稼いだら、それ以上は働かなくてもよい」。これが江戸庶民の労働に対する考え方でした。余った時間は家族と過ごしたり、趣味を楽しんだり、地域の行事に参加したりしました。現代のように「もっと働く」という発想はなかったと思われます。つまり、必要な分だけ働いて満足する働き方だったということです。

また、「通勤」という概念もなかったと思われます。朝起きたらすぐに仕事場があり、疲れたらすぐに休める環境で、職住一体が当たり前でした。とりわけ商人や職人は仕事と生活の境界線が曖昧で、家族みんなが商売や職業に関わる生活の延長としての仕事でした。

「働く」という概念

江戸庶民には、「嫌な仕事でも我慢して、給料をもらう」という発想はなく、仕事自体が誇りでした。おそらく現代で言うところの「労働」とい概念はなかったのではないかと思われます。江戸時代には「生業」という言葉が使われており、それが働くということを表す言葉だったからです。つまり「生活を営むための仕事」ということです。

「足るを知る」

江戸庶民を一言で言えば、「足るを知る」ということではないでしょうか。「もっと稼ごう」「もっと働こう」という考えはなく、必要以上に欲張らず、適度なところで満足する。「もっと、もっと」ではなく「これで十分」ということです。「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と言う首相を、江戸庶民はどう受け止めるのでしょうか。

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