2024年12月12日木曜日

江戸庶民の読書事情

           江戸庶民の読書事情

         元教組委員長 工藤芳弘            

 2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公は蔦屋重三郎。江戸時代に活躍した出版人で江戸の文化に大きな影響を与えた人物です。レンタルや書籍販売などを行うチェーン店「TSUTAYA」の名称も蔦屋重三郎に由来するといわれます。 

識字率と印刷技術の進歩

江戸時代にはいろいろなベストセラー本が生まれました。本を読むことが庶民の日常になったのは江戸時代からですが、その理由の一つが識字率のアップです。仕事をするために「読み・書き・算盤」が必要となり、親は子どもを6歳頃になると寺子屋や手習所に通わせるようになりました。江戸の識字率が世界最高レベルだったと言われる所以がここにあります。

もう一つは印刷技術の進歩です。かつて本は一文字ずつ手で書き写すものでしたが、木版印刷が普及した江戸時代になると、本は以前よりも安く手に入るようになります。蔦屋重三郎のような人物が登場したのは、このような時代背景があります。 

江戸の貸本屋

それでも本は今のように量産できるものではありませんでした。木版印刷は手作業であり、千冊も出版されば大ヒットです。まだまだ庶民の手の届くものではありませんでした。1968年に出された井原西鶴の『好色一代男』は2500文でした。今の値段で6万円以上(1文50円とした場合)もしたといわれます。読みたくても今のような図書館もありません。

そこで生まれたのが貸本屋です。貸本屋は出版元である地本問屋から本を購入し、その本を庶民に安く貸すという商売です。なお、地本というのは、上方からの「下り本」ではなく、江戸の地で作られた本という意味で付けられた言葉です。いわゆる大衆向けの洒落本、草双紙、読本、滑稽本、人情本、咄本、狂歌本などを指します。 

貸本屋は店を持たない

江戸の貸本屋は、基本的に店舗を持ちませんでした。本を担いで得意先を回り、新しい本を紹介したり、客が読みたいという本を持って行くなどして商売を行っていました。当時の本は和紙なので、今の本より軽いものだったこともあるかもしれません。 

また、貸本屋は一店で180件前後の得意客を持っており、それぞれ客の好みに合わせて地本問屋から本を仕入れていました。江戸後期には800店近くもあったといいますが、このことからも読書が江戸の庶民に浸透していたことがわかります。

貸本のレンタル料は

貸本のレンタル料は、「四、五冊物で銀三分から四分、現在の金で約二百四十円から三百二十円、一冊物で銀二分、約百六十円、十冊物以上になると銀一匁前後、約八百円」(長友千代治『近世貸本屋の研究』より)でした。蕎麦の値段と比較するとそう高いものでもなく、多くの人は半年から1か月ぐらい借りて読んでいたといいます。

江戸の貸本屋は、それ以前の時代にはなかった庶民の教養を高める役割を果たしたのではないでしょうか。江戸時代に庶民の文化が花開いたのは貸本屋の力があった、そう考えるのは私だけではないと思います。

貸本屋もひとつのエコ

江戸はレンタル社会で、「損料屋」という日用品を貸し出す店が繁盛していました。損料というのは賃貸料、借り賃のことで、損耗に対する代償と言う意味で損料といいました。貸本屋も同じようなシステムだといえます。本は借りて読むもの―これも江戸の知恵が生んだエコです。

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