2017年3月15日水曜日

人間講座

人間講座「平和と人間の課題 世代をつなぎ対話を」 59人参加
小中陽太郎林田光弘トークセッション                                                                         225
225(土)630分、東京革新懇の人間講座 25夜が開催されました。様々な取り組みがある中、当日は、教育学者の堀尾輝久さんや元日本テレビプロデュ―サーの仲築間卓蔵さん、日本画家の宮本和郎さん、五十嵐仁さん、鶴見裕策さんら59人が参加しました。
小中陽太郎さんと林田光弘さんの語り口は、時間を忘れさせるほどでした。
参加者の感想
○シールズが「安倍やめろ」を一言で括ってるのは疑問だと言う人がいるが、と小中さんが、林田さんに問いかけると、僕たちは、自分との関りで戦争法を考え、自分の言葉で参加していった。社会の話になると一人一人の顔が見えなくなる時がある。ヒバクシャ署名の取り組みでも「原爆いけないよね」とは言うが、被爆した一人ひとりがどんな思いでいるか、障害者問題然り、まさに他者を自分はどうみるか、個人は尊重されているか、そこを大切にしていきたいと。小中さんが、会場にも問いかけると、教育学者の堀尾輝久(東大名誉教授)さんは、「教育する」ではなく「学習する」ことが大事だ、と発言。子供が社会に目を向けない事で悩む母親の発言もあり、まさに会場が一つになったトークセッションだっ
た。温かな中にも考えさせられた。もっとやってもらいたい。(佐々木浩)
○Hiphopを取り入れたデモをやったシールズは本当に衝撃的でした。今まで参加したデモは、本当に暗くつまらないものだったので・・・。シールズのその後が気になっていたので参加してみました。これからの社会運動に関わるなかで、とてもためになる話が聞けたと思います。


2017年3月1日水曜日

3月 根ミツバ

 3月の旬 根ミツバ
        薬剤師 橋本紀代子
 鮮やかな緑、爽やかな香り、シャキッとした食感が特徴のミツバ。葉が三枚の小葉になっていることから、「三つ葉」と呼ばれます。根ミツバは軟白栽培(日光が当たらないよう土を寄せて栽培する)で、根つきのまま出荷されます。
 旬は3~4月。葉や茎を食べたあとの根は、土に植えると数日で新しい芽が伸びてきます。切りミツバ(白ミツバ)は冬に、糸ミツバ(青ミツバ)は1年中出荷されます。
 ミツバはもともと中国、朝鮮、日本などに分布する野草で、江戸時代に栽培が始まりました。現在のミツバの主な産地は千葉県、愛知県、茨城県です。
 香りのもとは精油。精油には、神経の興奮を鎮め、気分を爽快にする、胃腸の働きを活発にするなどの効能があります。カリウムによる利尿作用があり、ストレスが原因で血圧が高めの方にもおすすめです。
 β-カロテン、ビタミンC、カルシウム、鉄分なども含まれています。漢方では気血の巡りを良くし、咳や痰に効果があるとされています。
 風邪の初期には、すまし汁にすりおろしたショウガと刻んだミツバを入れると発汗、解熱の効果があります。
おいしい食べ方と保存法
 お吸いもの、五目ごはんの具、おひたしに。鶏卵や鶏肉との相性がいいので、親子丼にはたっぷりのせたいですね。
 根はよく洗ってきんぴらにしたり、牛肉と炒めたり、鍋料理にも重宝でゴボウのように食べられます。
 保存はキッチンペーパーなどに包んでポリ袋に入れて、冷蔵庫で1~2日もちます。
【「食べもの通信」3月号より転載】



2017年1月9日月曜日

     江戸の粋
         美濃山忠敬
         中央区街あるき愛好家

表は木綿裏は南部縮緬。表の模様は、縦縞模様,色は鼠色か黄柄茶と媚茶紺と御納戸、裏は幕府の統制に抗し、手に入らない生地。「世間に通用しない『独りよがり』が世間に認められないのを不満としつつも、だれにも理解されないのをかえって得意がる気味」(内田魯庵) 他人に見せない自分一人の美意識が江戸の粋。他人に見せて粋がるのは野暮というもの。

粋はもともと遊郭吉原での色事「粋事」を意味し、遊びの全てを知り尽くした人が通と呼ばれていました。吉原で金の使い方が景気よく本多髷で黒地の三枚小袖、膝下まである長羽織、鮫鞘の脇差を落とし差しにし、河東節を口ずさみ大仰に歩く義侠心のある蔵前の札差は、男伊達で通だが粋とは言わず、「野暮な足袋ほしき、寒さもつらや」と言いつつ冬も裸足を習いとし、「後ろを引詰め、たぼは上の方にあげて水髪にふつくりと少し出す」薄化粧の島田崩し、襟足を見せる抜き衣紋、気立てが良く情にあつく男言葉、お座敷で羽織姿のまま三味線を奏でる「色よりは芸」の深川の辰巳芸者には、粋があります。

粋は、貨幣経済と江戸地廻り経済の発達で、ヒト・モノ・カネ・情報が江戸に集中し、江戸から地方に拡散する仕組みが出来上がる江戸後期にできました。大名の財政の半分近くが江戸で消費され、幕末の天保の頃の幕府財政は、年間百五十四万両強。問屋株仲間の幕府への冥加金千両以上の者、日本橋だけで九十五人、その総額十三万九千四百両、町人のお金の凄さは桁外れ。
この町人とは、公益銀や町入用を納め、公事訴訟の権利を持っていた地主(18876)や家持(16727)(大屋さん)達のことで、町人の経済力が粋を育て歌舞伎、浄瑠璃、踊り、浮世絵、遊び等々江戸文化を発展させてきました。気立てやしぐさが自然、垢抜けして高い気位と誇り、教養と一種の反抗心を持った気概と気骨を表す「意気」「意気地」、これが江戸の粋という生き方です。

水道で産湯を使い「この世をば どりゃおいとまに 線香とともに ついには灰左様なら」(十返舎一九)と裏店で暮らす江戸庶民は、お金がないから、自分流の粋を作ります。山谷の八百善や深川の平清などの高級料理店に行けない庶民は、長屋の誰よりも初鰹、初茄子など初売りの縁起物や旬の野菜を食べることを粋に感じ、天下祭や町内の祭や大川の花火、勧進相撲に粋に感じ、季節ごとの遊び(亀戸の梅、墨堤・飛鳥山・上野寛永寺・御殿山の桜、堀切の花菖蒲、尾久の原の桜草、亀戸天満宮の藤、不忍池の蓮、入谷の朝顔、染井の菊、大久保の躑躅・・)にも、様々な粋を見つけました。桜の花見でも、わざと歌舞音曲なしの上野で心静かに鶯の囀りを聞きながらの花見、墨堤では船から桜を愛でる、尾久の原では、摘み取った赤い桜草に大川で捕った白魚を添え「紅白の土産」と。風情とともに自分なりの粋を作り上げていきました。
「火事と喧嘩は江戸の華」。町名主に雇われ、袢纏や道具、給金等を支給されていた町火消しの纏持ちは、壊す家屋の範囲を示し、風向きを伝えるプロの仕事。纏持ちは、組の中の鯔背で意気で男ぶりの良い力持ちの男、焼け死ぬことも多かった命がけの仕事だが、生き様が粋。

明治で江戸は消えましたが、江戸っ子は、文明開化と自由民権等の民主主義の「意気地」を持ち続け、(徳川家の象徴)の字の町名を残し、言論界や経済界、教育界の中に。その一人、元八丁堀与力で築地バンド、キリスト教牧師の原胤明。自由民権のメッカ銀座で、福島事件を描いた浮世絵「天福六家撰」を配布し、石川島監獄署に収監され、死体安置所から生き返り、浮世絵を有料で配ると捕まるので無料で配る「意気」を示し、出獄後、監獄改良・刑余者の更生事業と女学校創立に捧げる「意気地」。今、江戸の粋を受け継ぐ人は、あなたの周りにもたくさんいるのでは・・・。


   12月の旬 ロマネスコ
         薬剤師 橋本紀代子
 ロマネスコはカリフラワーの一品種で、イタリアのローマで栽培されていたことからこの名前が付けられました。
 一つひとつの房がらせん状に並んでいるだけでなく、中の小さな房も、その中の房も、みんならせん状になっていて、「世界一美しい野菜」といわれています。「うずまき」や「さんごしょう」の別名も。黄緑色で、食用にするのは花蕾(つぼみ)と花梗(花を支える茎)。
 カリフラワーの原産地は地中海沿岸。キャベツの原種から改良されました。ロマネスコは16世紀にはすでに、ヨーロッパで栽培されていたようです。
 日本では宮城県、福岡県など全国各地で栽培されていますが、まだまだ出荷量は多くありません。旬は112月です。
 ビタミンCが多く、加熱しても壊れにくいのが特長です。疲労回復に働くビタミンB1、皮膚や粘膜によいB2、鉄分、食物繊維を多く含みます。
 ロマネスコに含まれるファイトケミカル「イソチオシアネート」には発がんを抑え、解毒するなどの働きがあります。
調理のコツと保存法
 ロマネスコ、カリフラワー、ブロッコリーは、外国では生で食卓にのぼることも多く、ちょっと驚きです。
 ゆでるときは小房に分け、沸騰したお湯にひとつまみの塩を入れて2分ほど加熱し、ザルに広げて冷まします。
 さまざまな温野菜といっしょに、バーニャカウダソースやポン酢でいただきます。ピクルス、天ぷら、シチューなど、煮物や炒めものにも合います。
 保存するときは硬めにゆでてから冷蔵、冷凍します。
【「食べもの通信」12月号より転載】


2016年12月4日日曜日

畑田重夫さんの「わが憲法人生七十年」
出版を祝う会が149名の参加で開かれる!
      12月1日 大田区市民プラザ
若くして無念の死を遂げた学友への友情の使命

 若い時は、友情もあり、恋もあります。そういったものを経験することもなく、無念の死を遂げた学友たちのことを思う時に、生き残りました私は、今やものを言うことができなくなった彼らに代わって、私がものをいい、代弁し、実践しなければならない。これは、友情の使命でもあろうと考えて今日まで生きてまいりました。その過程の中で、本日、全国からお集まりくださって、皆さんとともにたたかい、ともにまなんでまいりました。私の非常にわがままな生き方を認めてくださいまして、しかも、きめ細かな友情と心からのご支援、ご協力、激励をいただき、ほんとうにしあわせでございました。まことにありがとうございました。(前段で畑田さんは、戦争中、学友たち2000人が、バシー海峡で魚雷攻撃を受け全員が犠牲に。自分は病気で甲府の病院に入院していて一人生き残った話をされた)
             田島一さんの開会挨拶
       
        乾杯の音頭・桜井さん

サトウキビ畑演奏の今井さん
閉会の挨拶





2016年11月1日火曜日

  11月の旬 チンゲンサイ
                           薬剤師 橋本紀代子 

  スプーン型で肉厚なチンゲンサイは、アクが少なく、緑色が美しいのが特徴で、中国野菜のなかではもっとも親しまれています。本来の旬は秋から冬にかけてですが、ハウス栽培などで通年供給され、価格も安定しています。
 また、チンゲンサイの菜花は味がよいと評判で、23月に出回ります。
 チンゲンサイはキャベツ、コマツナ、ノザワナ、ハクサイなどの仲間で、原産地は中国の中~南部です。
 日本に入ってきたのは1972年の日中国交回復後で、83年に中国名「青梗菜」からチンゲンサイと呼ばれるようになりました。現在のおもな産地は茨城、群馬、静岡の各県などです。
 カロテン、ビタミンCEなどが豊富で、がんや生活習慣病の予防効果が期待されています。カルシウムや鉄などのミネラル類も豊富です。血栓を防ぎ、抗菌作用があるアリルイソチオシアネートを含みます。
 漢方では、血の巡りを良くする、心を落ち着かせる、便通を整えるなどの働きがあるとされます。

調理のコツと保存法
 ゆでるときは、外葉と内葉、葉と茎を手でちぎって分けます。熱湯に2%の塩を入れ、油を数滴たらします。硬めの茎を20秒ゆで、その後葉を入れてさらに30秒ほど加熱し、冷水に取ります。軽くしぼって、ユズコショウ入りのポン酢やだししょうゆでいただきます。
 魚介類、肉類、シイタケとの相性がよく、中華料理やシチューにも合います。新聞紙などで包み、ポリ袋に入れて立てて冷蔵すれば、34日保存できます。


2016年10月3日月曜日

「写真撮ったら命はない!」
JCJ特別賞受賞
嬉野京子さん(写真家、東京革新懇世話人)にインタビュー 
 日本ジャーナリスト会議は、嬉野京子さんの50年間の沖縄取材に対して2016年特別賞を授与しました。嬉野さんは東京革新懇世話人です。
私の原点87
今回の受賞は戦争に向かう社会にさせないための受賞と思う。沖縄をはじめ日本全国の人に支えられながらきた。
194587日が「私の原点」だ。4月の蒲田大空襲で九州の祖母のところに疎開。その後、小さな部品工場を松代で再開せよとの軍の指示で、母が迎えに来て、兄や姉5人で85日夕刻汽車に乗った。私は4歳。翌朝広島の西20キロの廿日市で停まる。新型爆弾が落とされここから先へは進めないとのこと。再開の見通しのない列車で過ごし、翌7日に徒歩で広島市を突破。倒れている人が「助けてくれ」としがみついてくる。ぐちゃぐちゃの死体の中を歩いた。この体験が原点だ。
2部制の青空学校。教科書の墨塗、食糧難、高度成長、戦後のすべてを体験してきた。 
沖縄復帰求めて行進
1963年の「赤旗」、428日に北緯27度線上で沖縄と本土から船を出して海上大会で交流、その一行が東京に向けて行進を開始したとの記事。新幹線が開通するときに何で徒歩かと強い関心を持った。取材したいと大井川まで行き、結局15日間一緒に歩いた。
 第2回の行進は64年、東京を428日出発し815日の海上大会まで歩く行進。太平洋と日本海の2コース。日本海コースにカメラマン・記録で参加したが、団長が急遽不参加で、沖縄代表と私が通し行進者。当時、沖縄からは運動経験者にはビザが出ず、私が団長を務め、行進受け入れの各地も初めてづくしのハードな110日間だった。各自治体に沖縄返還の意見書の要請、各地の学習会のチューター等々、私は鍛えあげられた。
 1枚の写真の衝撃
 宗教・教育・マスコミ関係者にはビザがおりなかった。私は65年祖国復帰協大行進に参加するため、グラフィックデザイナーで申請しビザがおりた。鹿児島から那覇港へ。税関で「カメラはだめ」「命いくらあっても足りない」と止められた。必死に抗弁し「カメラを出すときは米兵がいないことを確認するんだよ」と通してくれた。最南端の摩文仁の丘を48日に出発し20日間行進。ベトナム戦争の最中で米兵が溢れていた。
 420日、宜野座村で子どもが米軍車両に轢かれて即死、現場に駆けつけた。行進団に「写真撮ったら命はない」「行進団が弾圧される」と言われたが、「沖縄の実情を伝えなければ分かってもらえない」と必至に訴え、1人が米兵の注意をそらしている間に、行進団員の肩越しに撮影。これが日本に世界に沖縄の実情の一端を伝え反響を呼んだ。 
米軍が指名手配、山狩り
 67年に写真集を出すために伊江島に行き、阿波根昌鴻さんを訪ね、米軍の土地取り上げを取材したときには、米軍に指名手配され山狩りも行われるなど怖い思いもした。
 72年沖縄は復帰したが我々の求める復帰ではなかった。
 和光小学校が「戦争の本質を学ぶ」として沖縄に行くことになり、相談があり、6年生に何を見せ聞かせるか提案し軌道にのるまで同行、その後は節目の年に参加している。
 1995年の少女暴行事件の時も飛んでいった。
 アレン・ネルソンがニューヨークの自宅で海兵隊員の少女レイプ事件の報道を聞き、詳細不明で96年に沖縄に来て、岩波ブックレットも出すことになった。各地で講演、東京革新懇「人間講座」でも取組んでもらった。そのうち、彼は我が家を拠点に日本全国での公演活動を展開した。 
沖縄が問うもの
今年20歳の女性が殺されたが、アレンが言いたかったことはこのことだ。海兵隊員は人間性を奪われ殺人マシーンにされ、いつ本領がむき出しになるか分からない。犯人は沖縄の女性と結婚し子どもまでいたが、海兵隊で教わった通りの殺し方をしている。
 辺野古、高江、伊江島は強固な基地にされようとしている。オスプレイを横田に持ってこようとしている。日本中が沖縄化されようとしている。対岸の火事ではなく、自分たちのところがそうなったらどうするか問われる。

 瀬長亀次郎は、祖国復帰協の中で、統一のため大変な労力を使い我慢・妥協しながらやっていた。統一は大変だが諦めずにやっていれば神様はチャンスをくれる。そのときにやるべきことをやる。一人一人が肩書きがあろうが無かろうがおかしいと思ったら声を上げていく。私は、知らず知らずのうちにいろんなことをやって今日まできた。