2025年10月1日水曜日

        10月の旬

                シイタケ           

            薬剤師 橋本紀代子

 

 子どものころ、井戸端にシイタケのほだ木が立てかけてありました。自給自足のような生活がふと思い出されます。

 シイタケの栽培方法には、コナラ、クヌギ、シイなどの原木に菌を植え付ける「原木栽培」と、おがくずなどを詰めた容器の中に菌を入れる「菌床栽培」があります。

 干しシイタケは原木栽培されたものが多く、大分県が圧倒的な生産量を誇ります。生シイタケは菌床栽培が主流で、生産量が多いのは徳島県、岩手県、群馬県の順です(2023年)。

 干しシイタケのうま味成分は「グアニル酸」で、昆布の「グルタミン酸」との組み合わせでさらにうま味が増します。

 豊富に含まれるエルゴステロールが日光(紫外線)に当たると、ビタミンDに変化します。ビタミンDは骨の形成を助け、骨粗しょう症などを予防します。

 エリタデニン、フィトステリンは、血液中のコレステロールを掃除し、動脈硬化、糖尿病、老化防止に効果があります。日本の民間療法では、キノコ類は不老長寿やがんの薬とされています。

 

おいしい食べ方

 生シイタケは網焼きでそのまま、または少量のしょうゆやレモン汁などでいただきます。

 和・洋・中、どの料理にもよく合います。バターで炒めてポン酢で食べる、鍋料理、天ぷら、炒めものの具にしても。

 肉詰めのタネは、シイタケの軸、タマネギ、ショウガをみじん切りにし、ひき肉、塩、こしょう、溶き卵、片栗粉とよく混ぜます。

  シイタケ全体に片栗粉を振り、タネを詰めます。フライパンに大さじ1の油を引き、タネを下にして中火で3分、裏返したらふたをして弱火で7分焼きます。等量の砂糖・酒・みりん・しょうゆを混ぜたたれを、フライパンに入れて肉詰めにからめます。

 干しシイタケの戻し汁はお吸いものや煮もののだしに。

    【「食べもの通信」10月号より転載】


2025年9月2日火曜日

                 9月の旬 

       サツマイモ

              薬剤師 橋本紀代子 

 メキシコなどでは、3千年も前から栽培されていました。コロンブスの時代にヨーロッパに渡り、日本への伝来は中国経由で17世紀初頭です。最初に沖縄、鹿児島などに伝わったことから「琉球イモ」「薩摩イモ」とよばれていました。

 江戸中期には救荒作物として栽培が推奨され、全国に普及。現在栽培されている品種は約60種類です。ねっとり系の「紅はるか」「安納芋」、ホクホク系の「紅あずま」「鳴門金時」などのほか、焼酎の原料にもなる「黄金千貫」などが人気です。

 でんぷんのほかに甘味のもとのブドウ糖や果糖などが多く、主食にもなります。

 サツマイモのビタミンCは比較的熱に強く、8割も残ります (皮付き生25㎎ 蒸し20

 皮なし生29㎎ 蒸し29㎎)。

 豊富な食物繊維は便秘にも有効です。サツマイモを切ったときに染み出る白い液はヤラピンで皮の近くに多く、食物繊維とともに便通を改善しますが、胸焼けの原因ともいわれます。

 利尿作用のあるカリウムや骨を作るカルシウムも豊富です。 果肉が黄色いサツマイモには、β-カロテンが含まれています。

おいしい食べ方と保存法

 掘り起こしたサツマイモは、洗わずに1個ずつ新聞紙に包み、1015℃で追熟させると、でんぷんが糖化し甘味が増します。

 炊飯器の釜に水1合を入れ、皮付きのサツマイモ2本を68個に切って入れ、炊飯のスイッチをオンにするだけで、おいしいおやつに。サツマイモご飯は、米2合、塩小さじ1、サツマイモ中1本を用意します。皮付きのまま1㎝のサイコロ状に切ってから水にさらし、米・塩と一緒に炊飯器で炊きます。

 八丈島では生のサツマイモの皮をむき、薄くまたはスティック状に切って2週間ほど乾燥させたものを「きんぼし」といい、きんとんなどにします。

    【「食べもの通信」9月号より転載】

ヒロシマ‣ナガサキ‣ビキニフクシマを結ぶ  

   「非核の火」碑前祭 TV放映 

 被爆80年。上野東照宮に灯されていた原爆の灯を福島県楢葉町宝鏡寺に移して4年。今年も、広島に原爆が投下された86日に碑前祭が宝鏡寺境内で開催された。

 境内に設置されたモニターで、広島平和記念式典を視聴し、815分に黙祷。

 碑前祭のオープニングは、鎮魂の尺八演奏。共同代表(代理)の井田玲子さんが被爆80年の取り組みを強調し開会あいさつ。続いて、伊藤達也共同代表が「日本国民の73%が核兵器禁止条約に参加すべきとしているが自公政権は拒否。唯一の戦争被爆国民として一日も早く禁止条約を批准するよう一層声を大きくしていきましょう」と訴えた。

 広島市長、長崎市長、八女市長(ヒロシマ原爆の火が灯る町)、地元の楢葉町長、日本被団協、日本原水協、日本平和委員会のメッセージ紹介。

 続いて、東京から41人で参加した合唱団「この灯」の合唱。ヒロシマ原爆の火を故山本達雄さんが故郷・星野村(現八女市)に持ち帰り、家族で灯し続け、のちに「平和の火」として村が施設をつくり灯し続けた「灯」をうたったカンタータ「この灯を永遠に」(作詞・作曲 安藤由布樹)の9章・10章、アメイジング・グレイス等など歌い、感動を持って受け止められた。

 つどいは、NHKなどテレビ3局が取材し放映された。

 前日には、伝言館(宝鏡寺に立地)事務局長の丹治杉江さんの案内で被災地視察。莫大な国家予算を投入し、産業団地や駅前再開発が進む一方で、無人の家が広範囲に点在。居住者は双葉町では184人(以前の2.5%)、浪江町2274人(10.6%)で、居住者は原発作業員も多いとのこと。バスの中でも放射線量は23マイクロシーベルト(μSv/h)で 外は57μSv/hなど高い地域も各所にあった。ちなみに東京・新宿では0.035μSv/h程度で現地は東京の約百倍ぐらい。高線量で立ち入り禁止の広大な地域もある。

 政府が、2月に閣議決定した第7次エネルギー基本計画は、「原発依存度を可能な限り低減する」との方針を大転換し、原発の最大限活用を打ち出した。改めて福島原発事故の現状を理解することは極めて重要となっている。 

伝言館には豊富な資料が展示され、外国人や若者なども訪れている。館案内や被災地視察などは、丹治さんにご相談ください。「伝言館」はネットで検索できます。

丹治杉江さん090-7797-4673

メール:ran1953@sea.plala.or.jp

今井文夫(東京革新懇事務局長・合唱団「この灯」団員)

 大きな感動よんだ 

第24回真夏の夜の平和コンサート

8月29日夜、国分寺市立いずみホールで、三多摩革新懇の第24回真夏の夜の平和コンサートが開かれ、310人の参加で成功しました。 

戦後・被爆80年にふさわしい企画で 

このコンサートは、例年8月に、「三多摩から平和の願いを込めて」開いてきたものです。ただ、コロナ禍のため2020年から4年間の中断を余儀なくされた後、昨年再開しました。

今回は、日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、戦後・被爆80年の節目の年にふさわしいものにして成功させようと実行委員会で繰り返し議論し企画を練り上げました。

その中で、第1部は昨年末日本共産党文化後援会の集まりで宮田耕八朗さんの力強い尺八の響きに圧倒されたという、実行委員で青年劇場の亀井幸代さんの提案で宮田さんにお願いしました。当コンサートでは初の邦楽でお客さんを呼べるか不安の声も出ましたが、宮田さんの声掛けで箏の大畠菜穂子さんとの共演が決まり、亀井さんの呼びかけで原爆詩の朗読を前進座の浜名実貴さん、青年劇場の八代名菜子さんの3人で行うことに決まりました。

第2部は実績ある三多摩青年合唱団のうたごえで、平和への思いを広げていこうと決まりました。

 感動的なステージ 


こうして迎えたコンサートは感動的でした。第一部の第1曲は、尺八と箏の演奏で、宮田さん作曲の「みずほのうた」。農村の実り豊かな原風景と国のノー政への怒り、農民の思いを込めた名曲です。第2曲は同じく宮田さん作曲の「キビタキの森」。自然豊かな森に暮らす鳥のさえずりや羽ばたきを尺八のカデンツァで表現した、これも名曲で実際に森にいるかのような感じを味わえました。続いて、八代名菜子さん(青年劇場)、浜名実貴さん(前進座)、亀井幸代さんによる原爆詩の朗読は被爆者の魂が宿ったような感情豊かな表現に涙が溢れました。 

第2部の三多摩青年合唱団の美しいハーモニーには歌う喜びがあふれていて素晴らしかったです。終わりにみんなで歌った「青い空は」に、この日の参加者の万感の思いが込められていました。

今後に生かすために

終演後、アンケートが55人から寄せられました。これは地域革新懇の再建など今後の活動に生かしたいと思います。(斎藤隆コンサート事務局長 )


2025年8月1日金曜日

江戸居酒屋

江戸の居酒屋事情

 元都教組委員長 工藤芳弘

私も含めて多くの人が普段からお世話になっている居酒屋。誕生したのは江戸の中頃だといいます。居酒屋が誕生すると、上方から江戸に送られてくる酒樽は年間百万樽以上にもなったとか。一斗樽(18ℓ)が百万と考えただけでもかなりの量です。

江戸では上方(灘や伏見など)から送られてくる酒は「下り酒」と呼ばれて上等だとされ、関東の酒は質が悪く味が悪く「下らない酒」と呼ばれていましたが、今は日本全国どこ行ってもうまい酒があるというのが筆者の見解です。

なぜ居酒屋と呼ばれたのか

 居酒屋という言葉は、江戸で使われ始めた言葉ですが、どうして居酒屋と呼ばれたのでしょうか。 

江戸初期には、酒は店で飲むものではなく、酒屋から量り売りで買って家で飲むものでした。いわゆる自宅飲みです。ところが美味しい酒が入ると、酒屋が店頭で試飲させ始めました。やがて店頭に居座って飲み続ける客が増え、そこから居酒屋という言葉が生まれようです。今の「角打ち」といった感じでしょうか。

居酒屋が料理屋からではなく、酒屋から誕生したということは意外な感じもします。

最初は立ち飲みスタイル

酒屋の店先から始まった居酒屋ですが、最初は立ち飲みスタイルでした。酒屋は「居酒致し候」などの看板を掲げ始めましたが、つまみもなく、ひたすら酒だけを飲んでいたということです。しかし当然のことながら、酒だけでは物足りなくなります。次第に簡単な料理を出す「煮売り居酒屋」が登場し始めました。

江戸の居酒屋メニュー

よく食べられていたのが味噌田楽。江戸最古の酒舗「豊島屋」では、田楽を出して大盛況だったとか。安くて人気があったようで、田楽がおでんのルーツにもなったとも。 

さらに湯豆腐、ゆで蛸、芋すの煮物、泥鰌汁と人気メニューは続きます。蛸は店頭に吊り下げられ、ゆでたり煮つけたりして出されました。「江戸名所百人美女」という浮世絵集には、女性が蛸をあてにお酒を飲んでいる浮世絵(左下)があります。

 また、河豚は毒があることから幕府で食べることを厳しく禁じていましたが、庶民はふぐ汁にして食べ、居酒屋メニューにもありました。 

鮪は今と違って値段が安く、煮つけや刺身で出されていました。ただしトロの部分は、江戸時代には保存がきかないと捨てられ、猫も食べない「猫またぎ」とまで言われていました。今では高級品のトロ。何とももったいない話です。江戸の居酒屋メニューをこうして並べてみると、何か今より贅沢ではないか。そう思うのは私だけでしょうか。

江戸の庶民が飲んでいた酒

江戸の庶民が飲んでいた酒は主に日本酒で、濁酒や甘酒でした。みりんのような味だったようです。今の吟醸酒や大吟醸酒とはまったく違う酒だと考えたほうがいいでしょう。また、冷やでは飲まず一年中熱燗で飲んでいました。焼酎も飲まれていたようです。

江戸の庶民は、とにかく酒好きで、昼夜をいとわず仕事中でも飲んでいたといいます。ただし江戸の酒は水割りで飲むのが一般的。アルコール度数も5%程度だったようですが…。

酒好きの江戸庶民を象徴するのは、酒量を競う「酒合戦」の盛り上がりです。寛文7年(1667年)に出された酒合戦記「水鳥記」には菱川師宣が挿絵を描き、当時の大ベストセラーになったということからもそのことが知れます。

しかし、酒はたしなむもの。くれぐれも飲みすぎには注意を!


7月の旬

                  7月の旬

                 オクラ

 


              薬剤師 橋本紀代子

クレオパトラの美容食の一つといわれ、「レディースフィンガー」の別名もあります。

 アフリカ原産で、日本に入ってきたのは江戸末期。広く普及するようになったのは1970年代からです。

 花は美しく、咲いてから45日で実が収穫できます。

 ヌルヌル、ネバネバが特徴で、納豆や山芋とともに「三ねり」とよばれます。

 ネバネバのもとは食物繊維のペクチンで、整腸作用、血中コレステロールを減らす、血圧を下げるなどの働きがあります。

 糖とたんぱく質が結合したムチレージもネバネバのもとで、たんぱく質の消化を助け、胃粘膜を保護し、便通を整えます。

 β-カロテン、葉酸などのビタミンB群、ビタミンC、ミネラルのカルシウム、マグネシウム、カリウムなどが含まれています。

 オクラの生産量が多いのは、鹿児島県が断トツで約49%、高知県が約16%です(2023)

 

おいしい食べ方と保存法

 表面の毛を除くには、ヘタから先の方向に指で塩もみします。

 生のまま薄く小口に切って削り節と合わせ、しょうゆをかけて混ぜるだけで一品できます。

 納豆、山芋との相性も良く、よくかき混ぜてご飯や冷ややっこに載せていただきます。

 ゆで方は、塩もみしたあとパンクしないように空気抜きの包丁を入れます。12分ゆで、冷水で冷まします。

 豚しゃぶとのサラダも美味。サッと煮たり、焼いたりして、煮魚や焼き魚の付け合わせにも。

 生のまま冷凍したオクラをちくわに詰めてから、天ぷらの衣に青のりを混ぜて磯辺揚げに。

 肉巻きやベーコン巻きは作り置きし、容器に入れて冷凍します。食べるときにフライパンに多めの油を入れて加熱するだけで主菜になります。硬くなった種子は乾燥してから焙煎【ばいせん】し、コーヒーのように用います。

   【「食べもの通信」7月号より転載】

2025年5月23日金曜日

5月の旬

                  5月の旬

                  アスパラガス          

              薬剤師 橋本紀代子 

 土から顔を出した若い茎を食用にします。はかまのように付くのが退化した葉です。

 和名は「オランダキジカクシ」。雉を隠すほど生い茂っているのは、葉ではなく枝です。

 グリーンアスパラガスとホワイトアスパラガスはまったく同じ品種ですが、ホワイトアスパラガスは日光に当てないように地中で育てられたものです。ムラサキアスパラガスには、アントシアニンという色素が含まれています。小さいうちに早どりしたのがミニアスパラガスです。

 生産量が多いのは、北海道、佐賀県、熊本県(2023年)。メキシコなどから輸入もされています。旬は56月。

 グリーンアスパラガスの栄養はとても豊富で、β-カロテン、ビタミンB群、ビタミンE、鉄分、カルシウムなどが含まれ、貧血予防の栄養素がいっぱいです。

 アスパラギンが体の中でアスパラギン酸に変化して疲労回復に役立ち、スタミナ野菜ともよばれます。パントテン酸は新陳代謝を促します。穂先に含まれるルチンは、毛細血管を丈夫にし、血流を改善します。

  カリウムには利尿作用があり、高血圧を予防し、食物繊維は便通を整えます。

おいしい食べ方と保存法

 根元が硬くなっている場合は、ピーラーで皮をむき、手でポキンと折ります。ゆでるときは、1%の塩を入れた熱湯で12分。鮮度や太さでゆで時間を調節し、ざるにあげて冷まします。

 オーブントースターや焼き網で焼くと、香ばしく仕上がります。みそ1に対しマヨネーズ2を混ぜた「みそマヨ」が合います。

 ベーコンや肉で巻き、塩コショウをしてフライパンで焼くと、お弁当のおかずになります。

 なるべく早く調理して食べたい野菜ですが、冷蔵庫で保存するときはぬれたキッチンペーパーに包み、さらにポリ袋に入れて立てて置きます。

   【「食べもの通信」5月号より転載】