2019年8月5日月曜日


江戸庶民のしたたかなエコ生活
                         都教組元委員長 工藤芳弘

  心豊かに生きていた江戸庶民
江戸時代は、身分制度や御
上の規則に縛られた封建社会。自由もなく窮屈な生活を強いられ、なおかつ電気やガスもない不便な生活だった。江戸時代は、このように捉えられてきたのではないだろうか。
確かに現代の私たちが江戸にタイムスリップしたら、その暮らしには不満タラタラだろう。しかし、その江戸が、いま見直されている。
江戸の庶民は、不幸せであり、日々の生活に困窮し切っていたのかというと、実はそうでもない。当時の書物や資料などがそれを裏付けている。そして、そこに見られるのは、江戸庶民のしたたかさである。 
江戸の庶民は、モノやおカネがなくても、足りないものを補い、助け合いと工夫で、日々の生活を豊かにしていた。人々は、金銭的に恵まれていなくても、毎日の生活を楽しみ、心豊かに生きていたのである。そして、その原点は、人々のもつ共同の力ではなかったか。江戸を知れば知るほど、その思いは強くなってくるのである。

今に生きる江戸のルーツ
 日本文化のルーツは江戸にあると言っていいだろう。
 2013年、ユネスコ無形文化遺産に登録された和食のルーツは、言うまでもなく江戸の食文化だ。今につながるだしの文化や、味噌と醤油の調味料も江戸が原点だ。屋台文化が発祥の、寿司、天麩羅、蕎麦、うなぎの蒲焼きなどもすべて江戸のグルメである。
 また、歌舞伎や浄瑠璃、落語、浮世絵、戯作などの興りも江戸であり、庶民の文化として栄えた。また、江戸市中には、庶民の子どもが通う寺子屋があり、当時の識字率は世界でもトップクラスだった。文学が庶民のものになったのも江戸。『南総里見八犬伝』や『東海道中膝栗毛』がベストセラーになったのはこの識字率によるものだろう。

100万都市のエコロジー
 江戸は100万人を超える大都市だったが、その衣食住はどうだったのか。とりわけ大都市の衛生面は気にかかる。
中世から近世にかけてのパリやロンドンといった大都市の衛生状態が極めて劣悪だったからだ。室内便器を利用していた市民が、汚物を2階の窓から道路に投げ捨てていたという。それでペストやコレラが発生したのである。
 ところが江戸では、糞尿は貴重な肥料として高値で取り引きされていた。有機廃棄物のリサイクルというわけだ。
 江戸では、糞尿のほとんどすべてが肥料として利用されていた。肥料の質は収穫を左右するので、農民たちは、裕福な商人や武家から出されるものを欲しがり、先を争って買い求めた。そのために価格が高騰し、幕府が介入することもあったという。つまり、糞尿は商品として流通しており、農民や汲み取り業者によって、関東各地へ肥船などで運びだされていたのである。
大都市江戸が、極めて清潔に保たれていたのは、始末に困る糞尿を肥料として利用し、なおかつ農業の生産性を高めるという循環システムができていたからである。
葛飾北斎は、用を足す武士を漫画にしている。厠の外では3人の家来が鼻をつまんで待っている。ドアは下半分しかないので長屋のトイレだろうか。一目で利用者がわかる。
滝沢馬琴は、「日記」の中に、汲み取りにきた農民との取引の様子を記している。
馬琴の家族は、大人5人と子ども2人。農家とは大人6人に換算して汲み取り契約していたが、農民は大根とナスを5人分しか持ってこなかった。馬琴は6人分を持ってくるよう強く主張している。
また、『柳多留』に、「店中(たなこ)の尻で大家は餅をつき」という川柳がある。年の瀬に、長屋の大家が汲み取り代を一括して受け取り、正月に餅がつけたという風刺だ。
江戸庶民の生活には、エコロジーがあふれている。いま地球規模の課題となっている温暖化やプラスチックごみの問題を知ったら、江戸の庶民はどう思うだろうか。

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