2020年9月1日火曜日

 江戸庶民のシンプルライフ

   東京革新懇代表世話人 都教組元委員長 工藤芳弘

 


長屋暮らしは必要最小限のもので 

 「東京革新懇ニュース」第454号「江戸庶民のしたたかなエコ生活⑵」と重なる部分もあるが、江戸庶民の生活はじつに質素なものだった。家財道具は必要最小限のもので十分だった。4畳半(広くても)から6畳一間という狭いスペースを有効活用するために、無駄なものは置かなかった。部屋の中には、行灯、火鉢、行李があるくらいで、茶箪笥があればいいほうだった。衣装箪笥などはまずなく、着物は衣紋掛(ハンガー)にかけて吊るした。

 寝具は、薄い煎餅蒲団一枚と夜着だけである。夜着は、綿の入った大きな着物である。褞袍(どてら)の大きなものとでも言ったらいいだろうか。江戸時代の庶民生活には、掛布団というものはなかったのだ。このことは、案外知られてないかも知れない。長屋には、押入れはないので、夜具は部屋の隅に寄せ、衝立で隠しておいた。

 台所用品は、包丁、しゃもじ、鍋、釜、皿、笊などの必要最小限のものだけである。食事も質素であり、一日分の飯を朝に炊き、味噌汁に漬物、納豆などで朝食をすませ、昼は冷飯に朝の味噌汁をぶっかけた。夜は野菜や煮物、焼魚などが添えられたが、質素な食事だから、煮炊きの道具はあまり必要なかったのだ。

 表通りには、豆腐や納豆、野菜や魚などを売るさまざまな棒手振(天秤棒でのかつぎ売り)が行き交い、さらには煮魚や野菜の煮しめ、煮豆などの煮売屋などが江戸庶民の食生活を支えていた。棒手振は、移動スーパー(コンビニ)とでもいう存在であり、今のように冷蔵庫がなくても、その日に必要なものだけを家の前で買えばよかった。

 食事道具は、箱膳を使った。箱膳には、1人分の茶碗と箸が入っており、食事の時はふたを裏返して膳として使った。食器棚など必要なかったのである。

 洗濯物は、共同井戸で洗い、共同の物干しに干した。まして独身の男性は多くの衣類を持っていなかったため、洗濯に手間はかからなかった。

 掃除は、部屋が狭いから、ほうきで掃けばすぐに終わった。

 物を持たない江戸庶民の暮らしは、シンプル・イズ・ベストという言葉がぴたりと当てはまる。現代人は、このような質素な暮らしに耐えられないかもしれないが、江戸庶民は、人との関わりの中で、本当のスローライフを実践していたのではないだろうか。 

江戸の徹底したリサイクル

 多くの物を持たず、再利用は当たり前、無駄のない暮らしが江戸庶民のシンプルライフである。

 集めた糞尿さえ金銭や物に換え、農家ではそれを肥料として利用した江戸時代。瀬戸物の焼き接ぎ(陶磁器の修理専門業者)、紙屑買い、灰買い(植物製品の灰を買い取る業者)、鋳掛屋(金属製品の修理専門業者)、箍屋(桶や樽の箍の修理)、古着屋、傘の古骨買い(傘の再生業者)、鏡研ぎ(鏡のメッキ直し)、臼の目立て(すり減った石臼の目を立て直す石工)、下駄の入れ(下駄の歯を交換する業者)、包丁研ぎなどをはじめとして、多くのリサイクル業者が江戸にはあった。道端の馬糞を拾い、肥料として売る馬糞拾いや、ゴミ溜めのゴミを燃料、肥料、埋め立て用に分別回収するゴミ取りという業者までいたのである。

 江戸ではほとんどゴミが出なかったと言われる。ゴミは燃やしてエネルギーに変え、その灰は肥料として利用するなど、徹底したリサイクル社会だったのである。

 例えば木綿は、着物・浴衣↓寝巻・下着↓おむつ↓雑巾↓燃料(燃やす)↓灰↓肥料というようにさまざまなものに生まれ変わる。最後には肥料となり、また綿花を育てる。まさに自然循環型社会である。

 江戸庶民は、着物も大切に扱っていた。洗濯もこまめに行い、いつも清潔なものを着ていた。着物はすべての糸をほどいて一枚の布にして洗っていたが、その時の洗剤も灰汁や米ぬかだったのである。

 無駄のない江戸庶民の暮らしぶりには、当時の生活の知恵が垣間見られる。現代のゴミ問題や「使い捨て文化」にことを知ったら、江戸の庶民はどう思うのだろうか。

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